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東京の眼鏡史

2010/04/27 Tue 10:24

とある成り行きで東京の眼鏡作りについて
調べています。


現在、眼鏡の生産は福井県鯖江市(さばえし)が世界的に有名。
海外ブランドも生産はイタリアか鯖江か中国か、という業界です。

(メガネ屋さんに行ったらぜひフレームに明記されている
生産国名を見てくださいね。)



では、なぜ鯖江市なのか?

「福井歴史王」というサイトに
載っていました。


以下引用
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文殊山(もんじゅさん)のふもとの村(現在の福井市生野町(しょうの))に生まれた
増永五左エ門(ござえもん)は、28歳の頃麻生津(あそうづ)村の村会議員となりました。

五左エ門の生まれた村は、田んぼが少なく雪の積もる冬は仕事がなく、
家に閉じこもる日々の続く貧しい村でした。

五左エ門は、生活の苦しい村民のために冬でも収入を得られる方法を考えていました。
そして目をつけたのが、当時、東京や大阪で行われていた眼鏡枠(めがねわく)づくりだったのです。

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なるほど~。

と、ここまでは福井県がPRしているので業界では案外有名な話。


ですがそれ以前、
すなわち増永五左衛門がノウハウを持ってきた当時の大阪や東京での
眼鏡作りの歴史って業界でもあまり知られていないのです。


理由は単純。
既に後継がいないから。


実際、今東京都内の眼鏡工場はほんの数件。
そのうち量産ができるところはおそらく1件のみでしょう。
それ以外はべっ甲と金フレームの職人さんだけ(だと思う)



その唯一の工場さんに昨日お邪魔して
社長奥様から当時のお話を聴かせていただきました。

奥様のご実家自体が、戦前から眼鏡枠の磨き屋さんだったそうなのです。

もともと全く別の業種の工場をやっていたお父様が
「眼鏡が儲かる」ということで長屋の一角で磨き屋さんを始めて成功。
それを見たご近所の方もみんな眼鏡製造にシフトしたため、長屋を一周すれば
フレームが出来上がったそうなのです。

それを問屋に持っていけば何でも現金払いで買い取ってもらえたそうなので
まさに濡れ手に泡だったのでしょう。



なんだか新しもの好きで気風のよい江戸っ子気質が
表れたエピソードや、後継が出来なかった理由など
興味深い話がたくさんだったのですが長くなりそう。


続きはまた明日にします。


なんだか中途半端(汗)ですみません・・・
また明日お読みくださいね。


鯉のぼり

関係ないけど東京タワーの鯉のぼり
333匹だそうです。



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