スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

東京の眼鏡史 その2

2010/05/07 Fri 15:48

また明日 と言いながら
GWまで明けてしまいました・・・

お待ちいただいた皆様すみません。


東京の眼鏡工場が消えて行ってしまったその理由。


の前に・・・



皆様GWはいかがお過ごしでしたか?

天気も良かったし最高でしたね。

私はどこにも出かけませんでしたが
引越し後の片付けはかなり進みましたよ。
気分もややすっきりしました。

あと一部やり残した所も今週末には
どうにかやっつけられそうだし♪♪







さて本題に戻りますか。



東京で眼鏡が本格的に量産され始めたのは
セルロイドが出まわるようになった頃。


場所は墨田区東向島。

この素材で眼鏡を作ってみないかと提案する人が大阪からこの地に来て、
前述の奥さんのご実家が話に乗った初めの代だったようです。

奥さんのお父様はそれまで自転車屋だったというのも
時代を反映してて面白いです。


おそらくもっと経緯があったのでしょうが、
こんな流れで見よう見まねで始まった眼鏡作り。

当然デザイン云々もなくて、丸(ロイド)か 四角(ウェリントン)か
というバリエーション。



長屋の中で、

生地を切り抜く家

切り抜いた生地を形を整える家

磨き担当の家

組み立てる家


という自然な分業流れ作業が行われ
東向島一帯が眼鏡工場地帯だったそうです。


ネジなどのパーツを作る家もあったようですよ。

当然型屋さんも地域内にあったので、

「ここ直して」

と持っていくとその場で修正してくれたそうです。



いやぁ 今では考えられませんね・・・



そうして出来上がった製品を、当時眼鏡問屋があまたあった
上野御徒町に持っていくとその場で即現金買取。



宵越しの金を持たない主義の江戸っ子は
その現金を手に

飲む。
打つ。
買う(!)。

なんてったて当時は吉原がありましたからねぇ。




設備投資や次世代を育てるのは二の次だったようです。


奥さまも話しながら憤っていらっしゃいました。
『あの頃の男は金をもって帰らなかった』
と。。。





さらに戦争の影響も無視できません。


金属を使うパーツ屋さんは軍に徴用されて
武器製造工場にシフトしてしまったり、

空襲が激しくなり、周りがみんな疎開してしまい
戦時中は完全に生産が止まったそうです。



戦後、疎開先から戻ってきた奥さまのご家族や他の工場たちは
別の土地で眼鏡作りを再開したけれど、その頃には鯖江(福井)の工場が
勢いを付けていたために結局は先細ってしまい、今に至るのだそうです。


結局東京で眼鏡作りが盛んだったのは20年間程。
どうりで資料なども無いわけです。


こんな話を聴かせてくださる方も残っていないと思います。
本当に貴重なお話でした。








ちなみに量産工場はほとんどなくなりましたが
職人さんはまだ残っているのですよ。


べっ甲とか金を使ったフレームを作る職人さん。
一人で時間を掛けて一本づつ作っていらっしゃいます。



そう考えると、
江戸っ子はもしかしたら一匹狼タイプなのかもね。


0507



















スポンサーサイト
できごと | コメント(0) | トラックバック(0)
コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。